初めまして。北九州ソーシャルワーク研究所の俵坂と申します。
私が、この事業を自分で行おうと思ったきっかけをお話しさせてください。
この障がい福祉業界に初めて足を踏み入れたのは、もう20年ほど前になります。当時の私は、臨時の事務職員として知的障害者通所更生施設へ配置されました。それまで「障がい者」といわれる方たちと触れ合った事がなかった私は、ドキドキしながら初出勤したことを昨日のように思い出されます。
日々の業務に追われながら少しずつ利用者様の顔と名前が一致するようになり、冗談を言いあえるくらいになっていきました。シングルマザーになりたてで、家事・育児・仕事に休む間もなく動き回っていた私に、心の底からの笑顔をくれたのは、子どもたちと利用者様でした。
そうして2~3年経った頃でしょうか。私の子どもの行動と、利用者様の行動に重なる部分が見えてきました。気になり児童相談所で見てもらいましたが、返ってきた言葉は「お母さん、心配しすぎ」「頑張りすぎなんよ」「育児ノイローゼになりよるんやない?」でした。確かにシングルマザーになりたて、それまで専業主婦だった私の大きな環境の変化に「そうなんやろうか…」「専門家の人がそう言うんやけん、そうなんやろう」と、少し不安が残りつつもまた日々に追われるようになりました。
そこからさらに2年ほど経ったころのある日、担任の先生に言われました。「お母さん、ちょっと…」子どもは小学校2年生になっていました。小学校という今までよりも大きな集団に、子どもは子どもなりに頑張りながら生活をしていたのですが、やはり周りに何かしらの波紋を呼んでいたようでした。
私の中に「あぁ やっぱり」という思いが蘇ってきました。そこから療育センターの予約を行い、半年待ちでやっと診察を受け、診断名もその時に、なんと!医師は直接子どもに「あ、あなたね、アスペルガー(現:自閉症スペクトラム障害)だから」と伝えてしまいました。
その時の子どもの様子は、分かっているのか分かってないのか…それすら分からない表情でした。
でも私の中の「不安」は、霧が晴れたようにすっきりした気分になったのも覚えています。
「さて、何から始めたらいいんだっけ?」
ちょうど時代は、措置から契約へと変わったころでした。
そこからまずは「アスペルガーを知ろう」と様々な本やネットの記事、子どもにも分かるものも含めて探しました。
そして思いついたのです。
「せっかく障がい福祉の業界にいるんだから、もっと利用者様と関わろう」と。
そこから直接支援の業務を選んで転職しました。ヘルパー、職業指導員、生活支援員、世話人、そして法人運営にかかわる業務にも携わりました。
その間に当時小学校2年生だった子どもも、今では成人して大学院に通っています。
子ども自身、色んな悩みや苦しみ、葛藤があったと思います。
中学校に入るとその授業スピードに板書が出来ない、動画を観ながらメモを取れない等のマルチタスクに挫けることも度々ありました。
思春期には精神的に落ち込むことも沢山あり、不登校も経験し、親子で毎日のようにバトル(いわゆる反抗期)を繰り広げました。
そういった体験、経験から「一人の人をしっかりとサポートしていきたい」そう考えるようになりました。
もちろん、そのためにはご家族や各関係機関との連携は欠かせません。
でも相談に来られた方、利用者様の人生の中で「主役」はご本人自身であること、それを第一優先に考えられるサポート・サービスを作ろうと決めました。
そうして今現在、相談支援事業所を開所して、昔の私の子どもと同じように困っている人、昔の私のように
どこに?誰に?何を?と、将来の生きるヒントを探し回ってる保護者の方のサポートが出来るようになりました。
どこに?誰に?何を?と、将来の生きるヒントを探し回ってる保護者の方のサポートが出来るようになりました。
まだまだ勉強の毎日ですが、皆様のお困りごとに真摯に向き合っていこうとこれからも奮闘していきます。